リアル

橋下を支持した人々は、たとえば「福祉を削らずして財政再建はありえません」などという信念を「現実的だ」という。富裕層へのさらなる負担増は「非現実的」だが、社会的弱者への支出を削ることは「現実的」なのだ。ここに、現状よりもさらに支援を削り取ったところでの社会的弱者にまともな生活が「現実的」かどうかを頓着する感覚はまったくない。

「二つのB層」のリアリティ - モジモジ君のブログ。みたいな。

どこが現実的なのかさっぱりわからないという旨をここなんかにも一言書いたのだが、何となく分かったような気になった。結局のところ有権者が求めるのは自分に金を回してくれそうな政治家であり、取りやすい所から手っ取り早く取ることが「現実的」なのだ。それは民主主義の在り方としてはある意味正しい。しかし、今そこにいる弱者への、また、将来自分がなるかもしれない姿としての弱者への想像力を欠いたまま、今の自分の事しか考えないというのは、何と言うか、醜いなあと思ってしまう。
ところで、現実的とかリアリティとか考えていて、内容は直接関係ないがid:NaokiTakahashi氏のこの辺の記事を思い出した。

自分の感覚にしっくりくる作品だ、ということを言うのに、ついついリアルという単語を使ってしまうくらい、この世はリアリズムに毒されているんだなあと。リアルってことが素朴に価値として扱われているように見える、読者がリアルに束縛されていることが悲しいなあ。

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080120#p1

ことさらネガティブなものばかりがリアルに見えるというのは、ペシミズム、シニシズムの甘い罠じゃないかなあ。
(中略)
何もしない何も出来ない自分を肯定するための言い訳としての、やたらネガティブに偏った「リアリズム」はよくないなあと俺は思うのだ。

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080126#p2

上手く整理できないが、世の中が全体的に「リアル」に向かっていて、それがいろいろなものを諦める言い訳になっているような気がする。