純粋性至上主義(仮説未満)

ことばの構造 - 「2ちゃんねらー=ネット右翼」に関する覚え書き――「死ぬ死ぬ詐欺」言説に寄せて
ことばの構造−子供が関わるといろんなものが見苦しくなる
を読んでの思い付き。
彼らは実は純粋なものを心の底から希求しており、本当は子供を救いたくて、募金をしたくてたまらないのです。そして、その行為もまた純粋な善意によるものでなければなりません。しかし、それはまた紛れも無く彼ら自身のある種の欲求を満たす行為でもあります。純粋に利他的な行為は存在し得ません*1。ここに一つの二律背反が生じます。また、「純粋な善意」は常に裏切られるリスクを伴います。これらを回避するために、彼らは実際に募金をする代わりに*2「中立(中道)な第三者」という立ち位置を取ります。仮想上の「純粋無垢な誰か」と「客観的に見守る自分」を分割することにより、動機と行為の純粋性が確保されます*3。「純粋無垢な誰か」は、例えば「募金をする人」、「美しい国愛する人」、「マスコミに騙される人」、「○*4翼に煽動される人」など、いろいろ当て嵌められるでしょうが、それらは大切な「純粋なもの」であると同時に彼ら自身でもあるわけです。そういったある種の自己愛が根本にあるために、彼らは純粋性を脅かすものを過剰なまでに警戒し、どこまでも攻撃的になれるのではないでしょうか。
彼らが自らの動機に触れることを拒み、頑ななまでに「中立」であろうとすることも、ここから来ていると考えることができます。自己実現や「安全な場所から石を投げる」娯楽なんかよりももっと切実な――彼らが「穢れ」から自己像を守るための防衛反応としての――「中立」です。しかし、その「中立」は、同じ階層の中での中立でも、第三者としての中立でもなく、メタへの留保であるが故に、初めからバランス感覚を欠いているのです。

*1:宗教者の方には異論があると思いますが、無宗教の私はとりあえずここを出発点にします。

*2:「募金しましたが何か?」という人についてはここでは触れていません。とりあえず、募金した人には使途を問い質す権利はあるでしょう。その前に確認しとけよとは思いますが。

*3:id:mushimori氏やid:kurotokage氏が問題にする「第三者である彼らがその問題にコミットする動機」がここに隠されていて、彼らはそのことを(少なくともタテマエとしてしか)語れないのではないでしょうか。

*4:右か左かはお好みで。